THREE LOG:公文洋二 – タコ焼き屋さんから、お客さんをいただいていたようなもんですよ

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インタビュー

佐賀のカジュアルファッションを語る上で欠かせない、スリーログが今年の9月で20周年を迎える。佐賀市のオシャレ好きで、その魅力に夢中になった方も多いでしょう。

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ハリウッドランチマーケットや、BlueBlueなどの人気ブランドを扱うほか、店舗別注やコラボなど、佐賀では手に入りにくいアイテムが揃うこだわりのお店。

今回は、スリーログオーナーの公文洋二さんに、お話をきいてきました。

 

スリーログ

10周年の時とは違い、懐かしさの方が大きい。

− 9月で20周年を迎えるとのことですが、この20年間を振り返ってみてどのような印象をお持ちですか?

長いような短いような感じです。

ただ、10周年の時とは違い、懐かしさの方が大きいですね。洋服が好きで「自分の色が出せるお店を持ちたい」という気持ちで始めたんですけど、振り返ってみたら僕自身の力だけではなく、今まで通っていただいたお客さんや歴代のスタッフを含め、様々な人達の協力があってスリーログを続けてこれたんだと感じています。

20年やっていると、学生時代から来ていただいている人もいるので、それぞれの生い立ちがあって、一人ひとりとの思い出が沢山あります。お客様ですけど良いパートナーみたいな感じですね。

− どのような時に、協力していただいたと感じますか

たとえば、お客さんからいいヒントを沢山もらったりしました。アンケートを取ったりしたわけではないんですけど、良い部分も悪い部分も含めて、接客中の会話の中で何を欲しいと思われているのか、お店には揃えていない物があった時にアレがあった方がいいね、とか色々とアドバイスをいただき、お客さんに満足していただくことが経営とイコールになり、スリーログの味というか、色をだしていける事につながりました。

 

スリーログ

やるからには目立つ部分も必要。

− スリーログの味、20年間で大事してきた事はどこでしょう。

お客さんに楽しんでもらうこと、喜んでもらうことですかね。それと、ファッション的な部分で年代的な雰囲気を感じてもらえるように、店内にはアンティークな雑貨や小物を置いてみたり、その時代の雰囲気も楽しんでもらえるように心がけています。

 

− 公文さんがおしゃれを感じる年代はどのあたりですか?

50年、60年、70年代ですかね。

一番ファッションでの「おしゃれ」と言う言葉が飛び交っている時代だったと思います。年代ごとのファッション色がとても強く出ていた時代だと思うし、そんな時代に興味があって、店内に置いている食器や雑貨にしろ、憧れを持ちながらも少しでもその時代の物と一緒に雰囲気を感じれる様にディスプレイしたりしてます。

 

− スリーログの独特な雰囲気がありますよね。

僕のタイムリーな時代は80年代ですから、今の歳でいうと60歳前後の方々は、僕らにしたらとても憧れの年代で、はじめて海外の物を目のあたり にされてますから憧れがありました。

 

− お店を継続させる秘訣はどこにありますか。

お店をやらせていただいている以上、責任というか感謝の気持ちやトライし続けることでしょうか。やるからには目立つ部分も必要だと思います。お店を 継続していく上で、色んなニーズに応えれる様にアンテナを張り、殻に閉じこもらず、柔軟に若い人たちとコミュニケーションをとって良い物は取り入れていき、そこに遊び心を入れていくことですかね。

− そのような考え方になったのはいつ頃ですか?

お店をオープンして1年ごろだと思います。色んな人達から学ばさせていただいた事が積み重なり少しずつ考え方が変わりました。

 

スリーログ

なんでもすぐに結果が出ることが全てではない。

− 若い人たちとコミュニケーションをとる上で気を付けている事はありますか?

若い人達へ、どうしても経験からものを言ってしまいがちですけど、上から目線だけで言うのではなく、楽しみ方だったり、学びやすい環境を上の世代が作っていかなければいけない。ただ、縦社会だけではいけない部分もある。お互い分かったうえで、リスペクトしあいながら社会ができていけばいい。

色んな世代がいるから悪い面だけではなく、いい面にも目をやり良い関係を築きたい。 情報社会になって便利にはなっているけど、やっぱり人の存在に憧れたりという部分はアナログ的。マンツーマンの対面接客をやっているんで、ライブ感を大事に。これから下の世代に憧れられる存在じゃないでけど、そんな風に見られるようにしていきたいですね。

なんでもすぐに結果が出ることが全てではなく、自分の直感を大事にしたり、そこに思いがあったりすることで時間をかけ将来的に財産になったりもしますからね。

 

− 元々呉服元町あった店舗から、現在のこの店舗へ移転した理由はありますか?

やっぱり店が狭かったというのがありますね。ちょっと手狭だったので、もうちょっと僕がイメージしていることを表現できるスペースが欲しかった んです。かといって、前の店舗から離れたくもなかったので、それで通勤途中に目がとまったのがこの物件です。

とくに街の事を知りつくしてこの 物件にしたとかではなく、自分の器にも合ってるかなどを含め直感的な部分でこの店舗を見た時にイメージが湧いて、ここでやったら面白いんじゃないかと思いそんな縁があって決めました。

 

商売には色んなご縁があると思います。 僕らには分からない部分があったりしますけど、また分からない部分がいい時もありますよね。 接客をさせてもらう中に違う職種の方や、様々な環境の方と出会う。それもご縁ですよね。

 

スリーログ

そこにしかないアイテムが僕は好きなんです。

− 公文さん自身でご縁を感じられた時はありますか?

今思えば服の環境に関して様々なご縁があったと思います。

高校を卒業して服飾専門学校に行き販売を経験し、佐賀に来る前は岡山で6年ほどデニムの製造に携わりずっと洋服絡みですよね。その中で知らない世界は接客をすることで、接客は色んな方々と接して今までにはない新鮮な感じ接客に興味がわきました。

接客をとおして色んな商売のヒントをもらったり、広がったりしましたね。通っていた専門学校にはデザイナーに憧れて全国からきている人が多か ったんですが、僕は趣味で波乗りとかしていたので、カリフォルニアのサーファースタイルに憧れていました。 サファーが普段着にリーバイスの古着着て足元はバンズを履くというスタイルが好きでした。なので学校でも古着を着ているヤツは少なかった ですよ。 専門学校を卒業してからは実家の武雄に戻り、実家から近かった佐世保のショップによく出入りしていたのがきっかけでそのお店で働くようになり販売を一年ほど経験させていただきました。

その時、得意先にドゥニームがあってドゥニームの企画担当者と知り合い自分の好きなジーパンを作りたい事を伝えて、住み込みで岡山の倉敷で働けるようになりました。 倉敷は学生服と寅一を製造する街で、暇な夏場にジーパンを縫い始めたという街なんですよ。今ではジーパン街おこしをやっていますけどね。 そこでジーパンを作る工程を学びながら空いた時間に自分のジーパンを作っていました。

それで九州に帰ることになり、得意先メーカーにブルーブルーがあり、そこの商品も作っていた関係で、佐賀でお店するんだったら紹介するよと声をかけてもらいました。 ブルーブルーは誰でも扱えるブランドではなかったんで、実績やそういった繋がりがないとできないんですよ。 たまたま僕が佐賀に戻るタイミングがよかったというか。実際、僕は武雄が地元ですから佐賀市の事も全く知らず、佐賀には免許を取りに来る時とかにしか来ていなかったんです。

でも子どもの頃、親父から連れてこられた銀天夜市はすごく活気があったのは印象的でしたね。 なかなか距離的に武雄からは佐世保が近かったので、買い物は佐世保に行っていて、若い時は全然佐賀の事は知りませんでした。

まったく、横の繋がりもないまま自分なりにリサーチして出したのが呉服元街の店舗です。

オープンしたては目の前にあったタコ焼き屋さんからお客さんをいただいていたようなもんですよ。タコ焼きを買いに来たお客さんが、タコ焼きが出来上がるまでの待ち時間にうちのお店を覗きに来るという。

今思えば、ほぼ直感でやってきた感じもありますね。製造に携わっていた事が、うちで商品を購入してくれたお客様のケアやメンテナンスにつながったりしています。そういったところが僕の強みにもなっています。

 

− 今でもオリジナルデニムは作っていますか?

今はやっていないですが、ちょこちょこと別注をかけたりまします。同業者や後輩たちがブランドなどやっているので、コラボアイテムにしたりしています。

オリジナルTシャツなどは見よう見まねで始め、夏はTシャツ、冬はスエットをシーズンごとに作っています。

 

海外へ買い付けに行った時など、そこにしかないアイテムが僕は好きなんです。 例えば現地の本屋のリサイクルトートバックだったり、Tシャツだったり、そこにしかないアイテムが好きで、それをお土産にしたり、僕自身集めたりしています。そういった事きっかけでスリーログのトートバックを作ったり、Tシャツを作る事に繋がったりして、その時に残る物を何かしらやりたいというスーベニアの感覚で始めたのがオリジナルアイテム作りへと繋がっています。

 

スリーログ

この街に愛着がある。

− 20年間で、ファッションの変化や流れを感じますか?

そうですね。2000年以降が変わったように感じます。

音楽を聴いていても思うのですが、昔の音源をまったく新しく今風にアレンジした音が出てきたり、ファッションもまったく同じで、昔のファッションを新しく今風にアレンジする人が増え、アメカジファッションやストリートファッションなどジャンルの括りがなくなってきたのかなと。

昔はファションジャンルごとにカラーがありましたからね。今はオールジャンル楽しめるスタイルになっていると思うし、上手く着ま わしているなと、ストリートファッションにも色んな要素を取り入れつつ幅を出せるよう僕自身も参考にさせてもらったりしてます。

 

− 例えばどんな要素を取り入れたりされてますか?

そうですね。パンツの履着こなしや、例えばベルトだったら、普通にベルトをとおさず垂らしてみたり、色んな幅を作って今まで自分がしてきたスタイルにプラスアルファしながら自分自身楽しめている部分もあります。 若い人のタイムレスなファッションには敵わないですけど、自分なりに良い物は取り入れてますね。

 

− 昔と今では洋服いに対しての価値観などの違いは出てきていますか?

昔はジーパンの値打ちや、ジーパンを作る内容的な本物志向に価値を持つ時代があったんですが、今はどちらかというと物自身の大切さを大事にしつつそれを楽しみながら着まわすという感じになっている気がします。

 

− 街の風景も20年間で変わったかと思いますが、どのような印象をお持ちですか?

少なくとも20年前は、街全体がショッピングモールの役割をしていたと思います。街に出かけるために、昨日と今日では全然違うファッションをしたり、色んなお店を見て回る事ができたので、あんな格好してみたいだとか、あのアイテムはあそこのお店に行くと買えるとか、そんな賑わいが街にはありましたね。

 

− ショッピングモールが注目を集めるなか、スリーログが路面店にこだわる理由はどこでしょう。

ショッピングモールができて、町の流れも変わりさみしい部分もありますが、路面店は季節の移り変わりを感じることができたり、路面店にしか出せない味もあるんですよ。それとこの街に愛着があることが大きいですね。

 

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カジュアルファッションの面白み。

− スリーログのスタイルはどうやって作られてきたのでしょう。

洋服の着こなしやスタイルを作るというよりも、自分たちがファッションを楽しむ部分が、スタイルにも反映しているんじゃないかと思います。そこがカジュアルファッションの面白みでもあると思います。僕が好きなデニムに関しては、色々な年代を通して今に至っています。そんな背景もフィードバックして、その年代当時の基本的なスタイルを振り返れる部分でもありますね。

 

− −スリーログのフィルターを通すことで新しいスタイリングができますね。

僕らなりの見立て方でお客さんから信頼を得ることにより、信用に繋がっていくことだと思います。 だからなんでもお店に商品を入れたりはしないです。僕らがその商品を把握しないとお客さんにも提供できないので、頼まれても入れない物は入れないです。

 

スリーログ

色んなファッションのジャンルの華が咲いてもらいたい。

− 今後の目標を教えて下さい。

スリーログらしいアイテム、商品を取り揃え、スタイリングではブランド力に頼るだけではなく、人を見て求められている物をあてはめつつ、そこにスリーログ的なファッションや遊び心の要素を混ぜて提案し着ていただけたらと思います。 今年は20周年なので色んなコラボアイテムを作ろうと思います。 この先もっとこの街に、色んなファッションのジャンルの華が咲いてもらいたいですね。

 

EDIT:YOSHIDA

店舗情報

THREE LOG

オーナー:公文洋二
住所:佐賀県佐賀市白山2-8-29
電話:0952-28-2393
時間:営業時間 11:30〜19:30

老舗アパレルショップ「THREE LOG」 ハリウッドランチマーケットや、BlueBlueなどの人気ブランドを扱うほか、店舗別注やコラボなどこだわりのアイテムが揃う。

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